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野田地図『Q:A Night At The Kabuki』雑記

NODA MAP『Q』を観た。感想などです。

 

野田地図の第23回公演『Q:A Night At The Kabuki』の千秋楽を観た。野田地図を観るのは『エッグ』『足跡姫』『贋作 桜の森の満開の下』に続き4作目。今をときめく広瀬すずの初舞台ということもあり、チケット戦争がすごかった。全抽選落ちて諦めきれず、当日券をもぎ取った。

最初に言っておくが、もう、ほんとうに、凄かった。演劇好きな自分を撫でまわして褒めたい気分。見終わったあと、興奮で池袋西口公園を駆け回りたい衝動に駆られた。

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東京芸術劇場の建物って直線が美しくて好きダ~~~

いつも通りネタバレしてます。まあもう全公演終わったので問題ないかと思いますが念のため。

2大要素

今作を構成する2大要素に触れておく。

Queen "A Night at the Opera"

一つ目はあのイギリスのロックバンド・Queenの4枚目のアルバム "A Night at the Opera"。Queenというと2018年に公開された映画『ボヘミアン・ラプソディ』が記憶に新しい。今回はこのアルバムを丸ごと演劇化する、という取り組みだったらしい。

・・・「クイーンの周辺」からこんな話が私のところに舞い込んできた。それは、ボヘミアン・ラプソディーを含むクイーンのアルバム「オペラ座の夜」の演劇性を、本当に「演劇」として広げられないか、それをクイーンが好きな日本の劇作家、演出家ヒデキにお願いできないかというものであった。

出典:野田地図公式サイト https://www.nodamap.com/q/introduction/

まさかのQueen側からのオファーで、しかも映画が世に出る前から動いていた企画だったらしいので、なんかすごいタイミングだなと思う。野田地図より先に世の中にQueenブームが来てしまったのって野田さん的にはどうだったんだろう?ちょっと気になる。私だったら「やられた~~~~!」って思うから笑。とにかく、Queen及び "A Night at the Opera" は今回の野田地図の大きなモチーフとなった。

 

シェイクスピアロミオとジュリエット

もう1つはこれ。今作『Q』のあらすじはざっくり言うと、ロミオとジュリエットがもし生きていたら?という、ifの物語。若き日の瑯壬生(ろうみお)と愁里愛(じゅりえ)(=面影の瑯壬生&愁里愛)を広瀬すず&志尊淳が、その後のふたり(=それからの瑯壬生&愁里愛)を松たか子&上川隆也が演じていた。舞台は源平の争乱時代の日本。キャピュレット家を源氏、モンタギュー家を平家に置き換えていた。ロミジュリにしても源平の争乱にしても、誰もが何となくだが知っている物語をベースにしているので、今回の野田地図は割とわかりやすい話だった印象だ。(過去に観た作品はどれも入り口がわかりづらかった気がする。それでも最後まで見たらメッセージがビシビシ伝わってくるのがすごいところであるが。)

 

あらすじ

(本当はあらすじなしで感想を書き進めようとしたけど無理だったのでドヘタクソな要約を書いておく。)

物語は尼僧となったそれからの愁里愛が瑯壬生からの白紙の手紙を受け取るところから始まる。なぜ手紙が白紙で届けられたのか、二人は回想する。

1幕

1幕はコメディタッチのドタバタ展開で概ね『ロミオとジュリエット』どおりに話が進んでいく。違うのは面影の瑯壬生と愁里愛が死という悲劇を迎えないように、それからのふたりが必死で先回りして運命を変えようとするという点。若さゆえにロマンティックで大げさに恋愛に心酔しがちな面影のふたりに、それからのふたりが影武者のように登場してあの手この手で「そいつの言うことを聞いてはダメ!」と悲劇を回避させる。

こうして、それからのふたりは面影のふたりの運命を変えることに成功する。しかし、死んだと思った面影のふたりが実は生きていたということが周囲の人々にばれると、二人は別の運命に巻き込まれていくのだった。

それからの瑯壬生と愁里愛の「私たちは運命を変えることができた。でももう一つの運命に巻き込まれた。それは戦争という運命。」というセリフで1幕は閉じる。 

2幕

運命を変えた二人だったが一度死んだと思われた二人は源平の平和の象徴として銅像まで造られてしまった手前、外に出ることは許されず会うことはかなわない。源平両家が戦争を激化させる中で、ふたりの運命はどんどん翻弄されて思わぬ方向へと進んでゆく。愁里愛は尼寺に入り、一方で瑯壬生は愁里愛に会うために身分を隠して名を捨てて敵地に向かうが、たどり着いた先で捕虜として強制労働を強いられる中で視力を失う。

30年の時が経ち、強制労働を終え名前を呼ばれた者から帰還の船に乗り込むが、瑯壬生の名は呼ばれない。なぜなら瑯壬生は名を捨ててしまったから。戸籍に名前がないため存在が認められず、ただ一人帰還できないのであった。そこで帰還船に乗り込む仲間に手紙を託す。ただし検閲にかからないように白紙のまま、内容を暗記してもらう形で。

 

ここで場面は冒頭に戻り、白紙の手紙が読み上げられる。運命を変えた瑯壬生と愁里愛だったが、生き延びた二人は結局別の運命に飲み込まれ、再会はかなわないのだった。

 

ひたすら感想を綴る

ことにする。項目分けて書いたりするの無理ですもう。だらだら脈絡なくあっちこっち飛ぶし記憶も曖昧なので改ざんされてしまってる部分あると思うけどもうこれは自分のためのメモなので読みづらいかと思うがそこはすみません。

あと、ちょくちょくセリフを抜粋したりしてますが手元にスクリプトがあるわけではないのですべて私の幻かもしれない・・・

 

 まず言えるのは、もうほんと野田秀樹すげえなってこと。この人の演劇は何回見てもシンプルにこう思える。わたしが野田地図を見ていつも不思議だと思うのは、最初のほうはストーリーが唐突でキャラクター設定もぶっ飛んでいるし、セリフ量も言葉遊びもものすごくて、何が何だかよくわからない。カオス展開。なのに引き込まれるし、一生懸命見ていれば最後に必ずメッセージを感じられるし、最初から最後まで全部つながってたということが実感として得られるのだ。しかもくみ取れるメッセージが当時代に即している。(まあでもこのメッセージというのはあくまで私個人が勝手にそう汲み取っているだけで、野田秀樹が何を意図しているのか知らないし、見る人によって感じ方は全然違うだろうけども)。

 

戦争に埋もれる個人

この作品を通して野田さんが伝えたかったこと、というか私が感じたことはこの一言に尽きる。

シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』は誰もが知っている作品。中身を詳しく知らずとも、タイトル・悲劇・恋愛モノってことくらいはきっと誰でもピンとくる。『Q』で描かれていたのも確かに瑯壬生と愁里愛の恋愛物語ではあった。しかし、『ロミオとジュリエット』と違ったのは、単に1組の男女の物語で終わらなかったことだ。瑯壬生と愁里愛という個人の運命だったはずのものが、戦争という運命に巻き込まれたことによって埋もれてしまったのが『Q』だった。

 

実は2幕で瑯壬生と愁里愛は再会しているのだ。お互いを認識し、同じ場に居合わせていた。しかし言葉を交わすことはできなかった。なぜならお互いの名を呼べばその瞬間に瑯壬生の身分がばれて殺されてしまうから。

 

最後瑯壬生は白紙の手紙にこんなことを記す。

 

「名前を捨てろだなんて言わないでください。僕は瑯壬生です。瑯壬生という名があるのです。瑯壬生として死なせてください。」

 

これは『ロミオとジュリエット』の最も有名なシーンを受けてのセリフだ。恋したロミオが敵方の息子だと知ったジュリエットが「どうしてあなたはロミオなの?名を捨ててちょうだい」と言うロマンチックなシーンだ。この有名な一節を利用して真逆のことを言うので、よりメッセージが強まる。他作品をベースにした作品として本当に秀逸な脚本で衝撃を受けた。なんて切ない。

 

この手紙から伝わる戦争のやるせなさは他にもある。手紙の要約はこうだ。

 

「私はもうあなたを愛してなどいない。ひどい労働の中で、ひどい空腹の中で、ひどい飢えの中で、私は命尽きないように生きることに精一杯で、あなたを愛する力がもうありません。あなたを愛し続ける力が私にあったのなら良かったのに。」

 

「愛していない」と言っているのに、ものすごく愛しているということが伝わる悲しすぎる手紙だ。これは要するに、生活や人生に最低限の余裕がないと、愛すら失ってしまうということを言いたいんじゃないだろうか。

しかも、この瑯壬生の手紙を暗記した戦友が言った言葉も印象深い。

 

「僕が手紙を暗記しよう。心の中までは検閲できないのだから。」

 

今のこの日本という国は、じわじわと戦争に向かっているように思えてならない。数字だけ見れば上向きに見える経済は、蓋を開ければ貧困層を踏み台にした結果である。政治家の演説の場で反政権的なことを叫べば警察に囲まれ、政権批判するまともな報道番組は打ち切られ、芸術祭で反戦のメッセージを伝えようとすれば行政がそれを禁じるこの国に、言論の自由などもはやない。

そんな私のここ最近感じているモヤモヤを、直截的な言葉や表現を使わず、それでもはっきりと伝えてくれた演劇だった。

 

まとめ

感想ブログとしてあまりにも稚拙な記事になってしまったが、どうしても2019年内に更新しておきたかったので、慌ててアップした。これ読んでも作品の良さは何も伝わらないと思う。でもとにかく役者さん・脚本・演出・衣装・小道具・音楽・メッセージ性の全てにおいて秀逸で見逃さなくて良かった。その一言に尽きる。『足跡姫』に続き、こんな演劇体験はなかなかないと思わせられた。

 

2020年はどんな年になるだろうか。今回の野田地図に込められたような警告を多くの人が受け取って考えられると良いと思う。私自身も、常に考え方や価値観をアップデートし続けることを忘れたくない。